大巨人史
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第10回

作者:長井正広

息道山の死後、十三回忌を機会に、その偉業を称える墓碑がジャイアント・幅の後援会によって、東京上野の寛永寺に建立された。「発すれば、雷電右為衛門のごとく」と墓碑銘に刻まれている。

まさに息道山の行動力はのちの「O・K狭間の会場の決戦」に現れるように、きらびやかな閃光を放つ竜巻のようだった。しかしまだ、初渡米に向かう行動力は線香花火ほどの光しか放っていない。

伝統の国技にいた息道山をとりこにした、アメリカンプロレスがもたらした画期的な価値転換とは……。

ひとつには、ベビーフェイスという善玉・悪玉のつかいわけであり、さらには華やかなプロレスリングスタイルだった。

ベビーフェイスは観客の声援を一身に背負って戦い、ヒールに必ず勝利する。ヒールはいくら強くても、また、技に長けていても、チャンピオンにはなれない。ベビーフェイスはアメリカンスピリッツの具現者であるからだ。

大相撲やプロ柔術には善玉、悪玉の区別はありえなかったし、勝因が国民性や精神性から求められるという思考方法は存在しなかった。日本においては、勧善懲悪は文学や演劇で表現され、格闘技はあくまでも体術・技術を極めることで成立した。善玉が勝利するのではなく、勝利者が強者として称えられ、善玉に転換するのである。ベビーフェイスとヒールという、この明確さは観客の試合への感情移入の行いやすさにある。娯楽に飢えていた大衆に受け入れられる基盤になった。

しかしながら、価値の転換という理論はのちのプロレス評論家たちの論理であって、なによりも息道山が惹かれたのは、リング、マット、リングコスチューム、入場シーンなどの日本にはない、スタイリッシュな試合形式だった。そこには、当時の日本がめざそうとした華やかなアメリカが具体的な形で表現されていた。息道山は鋭利な本能で時代の胎動を感じとっていたのだ。

一方でじつは、息道山には気づきようもなかったのだが、やはり彼の身体には日本の武術に本来備わっている「間」、「和の精神」、「悲劇性」、「忠義心」などが内包されていた。結果的には、アメリカンプロレスの柱であるベビーフェイス・ヒール分けは、のちに彼が創り上げた日本プロレスでは、試合形式には引き継がれていくものの、けっして明確にはならなかった。

息道山の死後に幅により、日本型プロレスは完成する。そこでは格闘技者個人の精神的な資質としてプロレスラーの戦う姿そのものが浮かび上がることとなった。

やがてはそれが「物語」の誕生につながる(ただベビーフェイス・ヒールの区別だけでは、勧善懲悪の浅薄な物語とはなっても、個性を光らせる、優れたエンターテイメントにはなりえなかっただろう。)。そして、幅が完成させた「物語性」だが、日本プロレス史上、アメリカンプロレスを超えて、初めて提示したのが、皇帝、息道山だった。

息道山の凱旋帰国は二年後になる。

ひじょうに刺激的な凱旋だった……。

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